【連載3/3】社会的包摂を考える:「慢性疾患患者」のために可能な個人の実践とは?

article_social_inclusion コミュニケーション

患者の課題:社会からの心理的・肉体的隔絶・遊離

トリ:ここからは私の個人的な体験談です。私は潰瘍性大腸炎を発症したのですが、個人的に1番困ったのは「便意切迫感」というものです。トイレにすぐに行きたくなるという悩みです。この悩みの種のせいで、外出先では常にトイレを探し回る日々になりました。外出先ではすぐにトイレが見つかるとは限らないので、これに伴い次第に電車や閉鎖空間への恐怖が募るようになりました。その結果外出が億劫になり、きこもりがちになってしまったのです

筆者:とてもつらい経験ですね。

トリ:そうでしたね。さらに、アルバイトができなくなり、社会的な接点を失うようになってしまいました。私の場合はレジでのアルバイトをしていたのですが、レジで働くためにはずっとレジに立っていることが必要で、便意切迫感のためにそれができなくなってしまったのです。たまにアルバイトの求人広告で見かける「心身共に健康な人」という人員要件に絶望したのを覚えています。友人からの遊びの誘いにも応えられず、自責の念に苛まれたこともありました。

筆者:社会から置いてけぼりにされているような感覚ですよね。

トリ:そうなのです。さらに私個人の場合には、痩せたこと以外に外見上の変化がほとんどなかったんですね。だからこそなかなか病状を理解してもらえないつらさもありました。「同じ病気の〇〇さんは元気なんだから…」という声のかけ方をされたこともあり、悲しい思いをしたことも覚えています。さらに一時的にストーマ(人工肛門)をつけていたときには、他人の目が怖くなりました。ストーマは通常服の下にあるので他人からは基本的には見えませんが、においの漏れの懸念等がありました。

筆者:他人から正しく理解されない状況と、他人の目からの恐怖の2つがあったわけですね。

トリ:そうなのです。これらをまとめると、1人1人において病状は異なるものの、「社会からの心理的・肉体的隔絶・遊離」というものが、大きな課題になっているのではないかと考えています。

個人で可能な実践とは?

筆者:ここから本記事のテーマの核心「個人で可能な実践とは」に迫っていきます。病気で社会からの隔絶等に苦しむ中、他者としての個人と接する中でどんなことがありがたかったですか?

トリ:はい、私がありがたかったことは「Keep in touch withな関係性」だと結論付けています。これは「病気に深入りせず」「いままで通り」「継続的に」コミュニケーションを取ってくれることです。これが私にとって1番ありがたかったかなと思っています。例えばたわいもない会話をしてくれる同じアイドル好きの友人ですとか、毎週読書会を開いてくれる友人ですね。病気と一緒に生活をする中で、病気がだんだん自分の脳の中の大半を占めてくるようになってくるんですね。そのような状況下で、病気一辺倒にならないコミュニティが貴重であり、そのようなコミュニティと触れ合う中で「ここに居ていいんだ」という安心感を得ることができました。

筆者:そういった「Keep in touch withな関係性」は非常にありがたいですよね。そしてこの関係性を作ること、それは「一個人として」実践できることであり、明日からでも実践できることであるはずです。私自身もすぐにでも実践していこうと思いました。

参考文献:おススメ書籍

トリ:ここからは慢性疾患について知るためのおススメ書籍を紹介します。

筆者:ありがとうございます。一個人で大切な実践として「知ること」というのは、最初の大切なステップですよね。下記に挙げていただいたような柔らかい小説やマンガ等を通じて、少しずつ慢性疾患について理解を深められたらと思っています。

  • 『こんな夜更けにバナナかよ』 渡辺一史 著
    筋ジス患者とボランティアを取り巻く人間模様を描いた小説。大泉洋主演で映画化もされた。
  • 『腸よ鼻よ』 島袋全優 著
    潰瘍性大腸炎を患った作者による、ギャグ要素を含んだ自伝的マンガ。
  • 『食べることと出すこと』 頭木弘樹 著
    潰瘍性大腸炎を患った筆者によるエッセイ的書籍。患者あるあるが多い。
  • 『病いの語り』 アーサー・クラインマン 著
    医療人類学の大家であるA.クラインマンの書籍.多少難しいがナラティブに関心のある方にはオススメできる。

(【連載完】)

連載1/3, 2/3の記事はこちら!

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